波縫い日記・2021年6月と今日

【2021年6月23日(水) 日記より 鬱】

おかしい。

なんでみんな平気なふりをずっとできるのか。

まさかほんとに平気なのか?

だとしたら頭狂っちゃってるよ。

私なんてもうこの世界が無理すぎて爆発してしまいそう。

てか爆発できるならしたい。

 

 

この世界は金がないと生きていけない。

おかしい。

人間以外は金なんかなくても生きていけるのに。

人間社会のしくみ作った人もれなく嫌い。

しにたくなる世界にしやがって。

本当はしにたくないよ。

でも疲れた。

社会のしくみに文句言ったって何も変わらないのはわかってるから、もういっそのこと誰か。

生きてるの疲れた。

 

 

こういうこと考えながら、ずっと生きてしまっている。

文句言いたいのは社会に対してじゃない。

もっと近くのこと。

仕事のこと、職場の人のこと、家族のこと、自分のこと。

募り募って社会のせいにしてるだけ。

クソ野郎だよ。

 

 

なんでこんなのになってしまったんだろう。

変わりたい。

ずっとこんな自分が嫌で変わりたいと思ってる。

いっつもそう。

思ってるだけ。

行動できない。

周りの目が気になる。

自分に何かの才能があると信じてあらゆることをサボってる。

ねえよ才能なんて。

21年生きてきてそれはわかってきた。

でも何かどこかに才能があるんじゃないかと思ってしまう。

ないのに。

 

 

なぜないのかというと、まず自分の好きなことがわからないから。

学生時代ずっと優等生のふりしてた、そのツケ。

あの頃は勉強がそれなりにできて物分かりが良くて目立ったことしなければ、楽に過ごせてた。

けどあれは評価されていたんじゃなく、目立ってなかっただけ。

社会に出て必要だったのは目立たないようにする技術じゃなかった。

コミュニケーション力だった。

コミュニケーションなんて、自分が一番サボってたことだった。

学校って何だったんだろう。

 

 

話を戻すと、好きなことがわからないということは、

何をすればいいかわからない。

だからいろんなものに手を出すんだけど、

飽き性が働いてどれもすぐに辞めてしまう。

これが自分に才能がない理由。

続けられないから。

 

 

坂口恭平は行動力もさることながら、継続力がある。

継続することの価値を知っているんだと思う。

継続のために必要なのは、

自分を知ること、他人の評価を気にしないこと、かな。

たぶん。

自分に才能がないことを知り、受け入れ、

自分からの評価を信じて好きを追求する。

的な。

ああ~私はそれっぽいことを言うのが得意だな。

何も経験してないくせに。

 

 

でもこれが本当にできれば「それっぽい」じゃなくて本物になるな。

なりたいな、本物。

あ、あと継続には推進力を利用するって話を坂口恭平が何かの記事で言ってたな。

推進力。

 

 

なんか…

これ書き始めたときはどうやっておしまいにしようか軽く考えるくらいネガティブだったけど、

徐々にポジティブ人格が現れてきてるな。

私はこうやって心のバランスギリギリ保ちながら生き延びてきてるんだな。

ギリギリ。

 

 

今日も今日までの蓄積がちょっとしたきっかけで破裂して精神崩壊ボロ泣きして、

これ書きながら頭の整理して、ギリギリで保ててる。

それを経験でわかってるから死なない。

ギリギリだけど。

このギリギリは怖いから嫌だな。

死なないにしても定期的に死ぬほどしんどくなるのは嫌。

だから変わる必要がある。

でも劇的に変わる必要はない。

徐々に。

 

 

あんまり変わってる実感って感じにくいけど、

今だって前に比べてスマホ見なくなったり運動しようと思うようになったり

睡眠大事にしたり、良い方向にちょっっっとずつ変わってるから大丈夫。

まずは声を大きくする。

その一点張り。

新しいことはかなり意識しないと元通りになってしまうので注意。

 

 

 

 

<数時間後の日記>

今日は仕事休みだけど早起きできた。

8時過ぎくらいから散歩もできた。

偉い。

Creepy NutsのANN0聴きながら、ちょうど終わるころ家に帰ってきたから1時間半。

1万歩いった。嬉しいなあ。ちょうど良かった。

あと今日はプライムビデオで映画観た。

マイ・プレシャス・リスト』良かった。

家の中にいるのも楽しいけど、外にもいろんな楽しさがある。

外出するのも悪くない。

 

 

あ、今日の天気、思ったより悪くなかった。

なんなら日が射すときがあって暑かったくらい。

1万歩歩くんだったら太陽出てなくて風があるときのほうが好ましいなと思った。

 

 

映画観たあと、夕食に何作ればいいかわからなくなってどんどん気分落ちていった。

作れるものなら何だってあったんだけど、

もっと凝った料理のほうがいいのかなとか考えてたら迷宮入りしてやる気失せて、洗濯物畳めないほど落ちて、

何もできない自分が嫌になって自爆。

 

 

完璧求めすぎてバグってる。

否定はしないけど、やっぱりそれって生きづらいし怖いし危ない。

適当になろ。

徐々に。

 

 

 

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【今日:2022年10月9日(日) 

     過去の日記を読んで ちょっと躁】

なっが。文字打っててびっくりした。

最初鬱すぎて心配になるね。

でも躁のときより文章上手な印象。

自分の内面のことに関してのみ語彙力高くなるっていうのは鬱のときの特徴なのかな。

あと一文が短くて簡潔。

鬱だと頭の回転遅くなる感じがもどかしいけど、

その分じっくり言葉を選ぶからいいのかもね。

言ってることももっともだし。

そしてこの日はなんと日記書いてるうちに気分がすっきりしてきている。

日記にはセルフケア効果があるねえ。

 

 

この日の時系列をまとめると

早起き→ラジオ聴きながら1時間半散歩→映画→献立考える→迷宮入り→何もできない無理→鬱日記→回復→日記

という感じ。

 

 

最初鬱どころか躁くらいの行動力なのに、あんなに鬱になるんだなあ。

家事ってむずいよなあ。わかる~。

 

 

当時も書いてるけど、完璧を求めすぎてる。

未だにそう。

でも今は当時よりうまく生きれてると思う。

やりたいことができて、転職もした。

自信が少しついてきたというのが大きい。

 

 

まじ生きてるだけで偉いけど、生きてるだけじゃつらい。

自分でどうにか楽しく生きていきたいよな。

 

 

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これは最近撮ったお気に入りの写真。