自戒、SNS疲れ

SNS疲れた。何度目かな。何度も疲れて辞めるのにまた再開してしまう。

 

私はSNSの何が良くてやってるんだろう。みんなやってるから始めたけど、何も考えずその流れに乗ってしまったことは良くなかったなあ。SNSって基本的にどうでもいいことばっかりなんだけど、たまに面白いことがあるんだよね。面白いことは好きだから、それが惜しくて辞められないんだと思う。SNSの何かが良いわけではなくて、辞められないだけだ。

 

私は文字があったら読んでしまうし、写真や映像があったら見てしまう。例えばツイッターだとタイムラインにある全ツイートを隅々まで読んでしまうし、インスタのストーリーにあるちっせえ文字の長文とかさ、ああいうのって逆に何がなんでも読みたくなってしまうんだよね。別に読まなくてもいいのに。読まない方が自分のためなのに。どうでもいいことだとわかっていても、見えるものは気になってしまう(ああなんか自分のスルースキルの無さに凹んだ)。

投稿するのも疲れる。だったら投稿しなきゃいいんだけど、何か面白いこととか発見があると知ってほしいからやっちゃうね。でも見られてるという意識が強すぎて色んなところが気になって疲れる。意味は伝わるかとか誰か傷つけてないかとか、タイムラインは見えちゃうものだから気にしすぎて何を言いたいのかわからなくなることもある。それでもやっちゃうね。反応があると嬉しいし。そういえば、いいねっていうのは数より人だなと思う。もちろん多くの人からのいいねは嬉しいけど、この人からのいいねはいいね20個分くらい嬉しいってことがあるから。

でも、誰にしても他人からの反応が嬉しいってことはそれだけ認めてほしいってことで、多分自分には自信がないんだよな。自信なんかなくても生きてはいけるけど、それでもやっぱりねえ。他人の目を気にして取り繕って他人に認めてもらうより、まずそのままの自分を認められたらいいな。強いところも弱いところもまるっと認めたい。そこまでの道のりは長そうだ。生きてるうちにそうなれるかな。前に比べれば取り繕うことはだいぶ減ったけど、だからといって他人に認められなくてもいいってほど強くはなってない(そんなこと未だにSNSやってる時点でお察しだよって感じだ)。

でも、自分がいいと思ったものがいい。それだけでいい。他人からの共感なんて要らないね。というか共感という奴は危ないよ、みんな同じだと思っちゃうからね。それで自分と違うところが見えるとその違いに違和感とか抱いちゃうもんだから、厄介だ。と、私の中の私の一人が言っている。

 

私には、誰も見ないけど見られる可能性はあるここの方が合ってるんじゃないかと思う。まだ始めてから1ヶ月弱だけだけど、ツイッターやインスタにURL貼っつけても思ったより見られてないことにほっとしている。見ようとしなきゃ見えないもんね。良かった(あ、これを読んでるあなたは誰ですか。読んでくれてありがとうございます)。一番読まれるときは私が死んだときかなあ。そのときくらいは読んでほしいかもしれない。生きてるときこんなこと考えてたんだあって知ってくれたらいいんじゃないかな。まあそれはどうでもいい。とりあえず、私は簡単には死なない。

 

SNSは禁止せずともほどほどに、何か思考が溜まったらここに吐き出すことにしてみる。散り散りの文章しか書けないけど、頭がパンクするよりはいいだろう。そもそも自分のために始めたことだから徹底的に自分のために書く。あと吐き出すときは全部出さないと気持ち悪いから全部出そう、中途半端が一番いけないんだよな。すっきりしゃっきり行こう。