21歳、勝訴ストリップ

これは3月上旬のこと。ふと思いついてサブスクで椎名林檎さんの2ndアルバム『勝訴ストリップ』を聴いてみた。そのときの衝撃は1か月経った今でも覚えている。それは「この椎名林檎、今の自分に似ている」という大変おこがましい衝撃だった。

 

 

 

以前から椎名林檎さんのアルバムや楽曲を聴いていて救われたり学んだりしたことはあったのだけど、これほどまでに共感したことはなかった。なのに『勝訴ストリップ』には、そりゃもう嫌になるくらい共感してしまった。たとえば、根拠なき全能感があるけどそれに対する羞恥もあるとか、根は真面目だけど遊ぶときはちゃんと遊ぶとか、矛盾していそうなものが共存しているところ。あと、今が過ぎることへの恐怖とか、余韻に浸る暇もないくらい今に忙しい感じとかもわかる。全体的に尖りやエネルギーに満ち満ちている。(椎名林檎さんと私の明らかに違うところといえば、純粋に他人のために動けるかどうかかな。私はなんでも他人よりまずは自分のためになるか気にするから。)まあ、共感といっても自分に寄せて解釈してるところもあるけど。それにしても共感の度が過ぎていて、自分のことがわかったような気分だった。

気になって調べてみたところ、このアルバムの発売日は2000年3月31日。当時椎名林檎さん21歳。なんと、今の自分と同い年。それを知ったとき、ヴッ…となってしまった。さっきの共感に妙に納得した。もちろん椎名林檎さんと私の21年間は何もかもが違うけど、同い年というのは不思議な引力を持っているものだ。

 

 

 

そういう運命というのも恥ずかしいが強烈な出合いを果たし、それからCDを買って何度も聴いた。ただ、私もずっとこのままでいるわけにはいかないので、これからはほどほどに聴こうと思う。『勝訴ストリップ』をつくってくださった椎名林檎さんには感謝感謝です。これに共感したことにより、今までつくられた椎名林檎作品がこれからの自分にとって道標になるのではないかと心強い気持ちになった。図々しいお願いだけど、椎名林檎さんにはこれからも脳内ダダ漏れの作品をつくっていってほしい。もし表舞台に立つのを辞めることになっても、それが自然な流れの上での決断であれば私は受け入れるべきだと心得ているつもりだけど、辞めないでほしい。だいぶ前に裏方業を本業に…みたいなことを言っていたのが気掛かり。不惑の余裕から2年以上経った今ではちょっとほっとしているところもあるけど、やっぱり気掛かり。できるだけ、私なんかからも見える場所に立っていてほしい。

今現在私の倍の年数を生きている椎名林檎さんに、私は年齢も経験値も絶対に追いつけない。リアルタイムで作品に共感することは少ないだろうけど、それでも、椎名林檎さんがいま存在していることで私の不確かな未来にぼんやり明かりが灯るような気がする。

 

 

 

しかし、椎名林檎という人間の実体は、知れば知るほどわからなくなる。たぶん全部が椎名林檎なんだろうけど。よっぽど確固たる軸を持ってる人なんだと思う。かっけえなあ。好き。

 

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